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| - | 2009.04.19 Sunday, | - | - |

まだだ、まだ終わらんよ!

機動戦士Zガンダム劇場版第2部〜恋人たち〜が公開された。

管理人はまだ見に行っていないが、近々見に行く予定である。

以前述べたように、この劇場版ZはTVアニメ版とコンセプトが異なり、新約の名の下に「Zでもここまで前向きに描ける。ハッピーになれる」ということをコンセプトに作ったということだ。その違いを楽しむというのが旧来のファンのあるべき姿だろうが、残念ながらZの中盤に関しては記憶があやふやだったりする(汗)ので、改めてアニメ版Zガンダムを観てみることにした。

ありがたいことに、映画の宣伝のためにYAHOOが1〜10話までを無料配信していたので見ることにした。(ちなみにBBユーザーかYAHOOプレミアム会員でないと見れない)

というわけで、今後はZガンダム(アニメ版)のレポ&感想も書いていこうと思う。

んー

まあ、気持ちだけで終わる可能性もだが

| ガンダム関連 | 2005.10.29 Saturday,21:32 | comments(0) | trackbacks(0) |

そろそろ

機動戦士Zガンダム供僧人たちの劇場公開が近づいてきた。10月29日とのことだが、やはり見に行くことになると思う。

前回の「〜星を継ぐもの〜」では、TV版14話「アムロ再び」(カガリのパクリではない)までを再編集したものだったが、今回は何話まで進むのだろうか。

同じ分量で28話までだとすると、3部作だと考えて到底最後(50話)まで追いつきそうにない。
「〜恋人たち〜」という副題からもわかるように、メインはカミーユとフォウの恋愛(?)だと思われる。フォウを主眼においてキリの良いところまでもっていくと36話「永遠のフォウ」になるが、そうするとハマーンあたりも描くことになり収拾が困難になる。物語に主眼を置く富野監督がテーマをぼやかせるとは思えないので、これも無いだろう。

間を取って、30話「ジェリド特攻」か31話「ハーフムーンラブ」あたりだろうか。どちらにしても3部作目に20話近く進めなければならないのでかなりキツイが最後のほうは戦闘がメインになるのでかなり端折ることも出来るはず。描かねばならないのは…

シャアの演説、シロッコの暗躍とハマーン率いるザビ家の復興、フォウの死によるカミーユの覚醒、カツとサラとレコアとエマの最後、シャアVSハマーン、カミーユVSヤザン、シロッコ…いかん、やはり厳しそうだ^^;

まあ、それでも富野監督ならやってくれるだろう。物語の出来を尺の問題にして責任転嫁しないのがプロであり、富野監督はプロだからだ。(どこかの同人上がりの脚本家とは違う)

個人的には、「〜恋人たち〜」にはリニューアルされた【MSZ−006 Zガンダム】の出来がかなり楽しみである。それによっては、久しぶりにガンプラを買うことになるかもしれない。

| ガンダム関連 | 2005.10.05 Wednesday,21:17 | comments(0) | trackbacks(0) |

キャストって大変

先日書いたように、Zガンダム劇場版は今後も期待大なのだが、作品とは関係ないところで気になることがある

ヒロインのフォウ・ムラサメのキャスト、声優さんのことである

歴代ガンダムファンの方はご存知だろうが、TV版Zガンダムでは、フォウは島津冴子女史が担当していた

島津冴子女史はクールな中に微かな色気が漂う声質の持ち主で、『ダーティペア』のユリ、『エルガイム』のポセイダル、『サクラ大戦3』のグリシーヌなど、数々のキャラを担当したベテラン声優である。その彼女の代表作・キャラが『Zガンダム」フォウ・ムラサメだったのだ

しかし、劇場版Zガンダムでは、フォウの声は島津女史ではなく、『二人はプリキュア』のほのかや『舞-HiME』の真白などの声を務めた若手声優、ゆかな女史が担当することになった。当然、往年のファンは驚き、一部で失望の声を上げたが富野監督が決めたことなら仕方ないと諦めていた。が、そこで事件が起こった

ある雑誌にて、「声優交代はΖの音響監督・藤野貞義の独断によるものであり、富野は島津で行くつもりだったが音響監督に騙された」という記事が掲載されたのである

この記事の信憑性は、後に島津女史本人が公式HPにて、富野監督および音響監督とのやり取りを公開し、真実に近い話ではないかということが判明した

この件で、双方のファンはヒートアップし、苛烈な罵りあいが始まった。島津女史のファンは「ゆかなは音響監督に取り入って(ここでは明記しないがかなり辛辣に書き込んでいる)、他人の役を奪い取った」とゆかな女史を攻撃し、それに対しゆかな女史のファンは「島津が公式HPを用いてヒガミを言っているだけ。第一キャストなんて獲って獲られての世界でしょ」と反論、未だに決着がついていない

意味のない、発展性の無い議論だと思う。正直、呆れるし、またこの状況を悲しくも思う

そんな言い争いを島津女史もゆかな女史も望んではいないよ、と当たり前の言葉で善人ぶりたいわけではない。双方の言い分は尤もだし、ファンならばある意味自然な行動かもしれない。私が悲しいのは、それを黙認しているサンライズ、また富野監督およびスタッフなのである

声優がキャラクタに命を吹き込むという意味で、アニメの配役が作品の重要なファクターとなるのは自明である

だからこそ、たとえ音響監督の裏工作に監督が騙されたとしても、富野監督がゆかな女史をフォウ役として認めたということは、そこには何らかの意図・意味があるはずだと思いたい。私はクリエイター富野監督が島津女史のただの代役としてゆかな女史を立てたと思いたくないのだ

だからリップサービスなのかもしれないが、富野監督が「"永遠のフォウ"は島津冴子である」と言ったのは悲しかった

音響監督が監督を騙したというのが事実だとしても、敢えて「新訳という意味において、島津女史ではなくゆかな女史を起用した。しかしそれでTV版の島津フォウの価値が落ちるわけではない」と何故断言してくれなかったのか

Zガンダム劇場版2弾〜恋人たち〜で、ゆかな女史が島津女史に比肩するほどの魂をフォウ・ムラサメに吹き込んでくれることを望んでやまない

| ガンダム関連 | 2005.08.29 Monday,22:48 | comments(0) | trackbacks(0) |

新訳とは・・・

劇場版『Zガンダム〜星を継ぐ者〜』を見た。かなり前に(汗

新画と旧画のクォリティの差に違和感を感じたという感想が多いようだが、さすが富野監督、ラスト周辺のMK−供百式VSギャプラン&アッシマーはほとんどが新画で、いやがおうなく盛り上がり、視聴後古臭く感じさせないようになっている

TV版Zガンダムのストーリーは、とにかく暗い雰囲気が伝わる脚本だった。人間のエゴが生み出す業の深さ、人間が本来持ち合わせる醜さを前面に押し出されており、好き嫌いの分かれる作品だった。(私は初めて触れたガンダムだったので、シリーズの中でも1・2を争うぐらい好きだが)

ただ、視聴後気になるところがあった

カミーユがクワトロをシャアだと気づく場面である。TV版でのカミーユはその後シャアに正体を現せと詰め寄るが、劇場版では素直に驚き羨望さえするのである。この場面は、表面上の新画と旧画の違いより、私にとってかなり大きな違和感が残った。それはTV版のカミーユとシャアの関係を知っているからだ

TV版Zガンダムの序盤、カミーユは自分に自信が無いために(名前に対するコンプレックスから伺える)、いつも他人に自分の責任を転嫁する身勝手な子供だった。常に自分は戦争に巻き込まれた被害者であるという意識を持ち、他人に噛み付く。そのくせ頼りにされないといじけたり、褒められて増長したりもする。だからエマに「自分の都合で子供と大人を使い分けないで!」と頬を張られている

一方シャアはクワトロという偽名を使い、自ら表舞台に立たずただのパイロットとして生きる道を選んでいる。1stにおいてザビ家への復讐を果たしたものの、戦士としてアムロに敗れ、ララァという最愛の女性を失ったその当時のシャアには、もはやジオン・ダイクンの遺児として世界を導こうという気概を持つことは出来なかったのであろう。だから、何故こんなところでパイロットを?という質問に「他に食べる方法を知らんからさ。だからいまだに嫁さんももらえん」などと自分を卑下して見せる

この2人に共通するのは、『逃避』と『自己否定』である。カミーユが事あるごとにシャアに噛み付くのは、そんな悪い側面が似ているから、つまり自己嫌悪ゆえである。逆に捉えれば、だからこそカミーユはシャアに自己の責任を負う立派な大人を見せて欲しかったのであろう。それが如実に現れるのが、クワトロがシャアだと明らかになる場面なのだ

カミーユ「もしそうなら、それは卑怯ですよ。シャア・アズナブル、名乗った方がすっきりします。どっちなんです。教えてください」

ハヤト「お認めになってもいいのではありませんか?」

クワトロ「今の私はクワトロ・バジーナ大尉だ。それ以上でもそれ以下でもない」

カミーユ:「歯ぁ、食いしばれッ!!そんな大人、修正してやるーッ!!」

( `Д´=○Д`)))

クワトロ「………これが、若さか…」

大人をやって欲しいカミーユに、期待して欲しくないシャアが誤魔化した結果、カミーユはその姿を自分に重ね、殴ったのである

この場面が、後々Zという物語において大きな意味を持ってくるようになる

ストーリーが後半に差し掛かる頃、カミーユはフォウの死を経て、これ以上こんな悲劇を繰り返さないため自分がシャアの礎になると決意し、シャアに「僕はもうあなたのことを、クワトロ大尉とは呼びません。あなたはシャア・アズナブルに戻らないといけないんです」と呼びかける。そして、その期待にシャアも応え、ダカールで演説するのである

最終話、シロッコ&ハマーンにひきづられ戦闘を挑むシャアにカミーユは叫ぶ

カミーユ「あなたは、まだやることがあるでしょ!この戦争で、戦争で死んでいった人たちは、世界が救われると思ったから、死んでいったんです。僕もあなたを信じますから!

カミーユの悲痛なまでの覚悟とシャアへの信頼が伝わってくる。そしてそれを受けた上で、シャアはカミーユに次代を担うよう期待するのだ。

シャア「君のような若者が命を落として、それで世界が救えると思っているのか?新しい時代を作るのは老人ではない!!

Zはシャアが本当の主役と言われるが、私にはこのZこそW主人公の話だと感じる。上記の2人の関係が物語上大きな役割を果たしているからである

劇場版Zは、『新訳』という頭文字が付けられており、カミーユはあまりキレないし前向きな面も初めから持ち合わせており、シャアはTV版ほど情けなく描写されていない。だからシャアの正体が明かされてもカミーユがシャアに噛み付くことは無い。TV版Zにおいて中枢とも言えるカミーユとシャアの関係性を、どうやって捌いてくれるのか、期待半分、怖さ半分で第2部も見に行こうと思う

| ガンダム関連 | 2005.08.25 Thursday,22:20 | comments(0) | trackbacks(0) |

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